3月17日 月曜日 231日目
スキー前に一応集まるが特に何をするわけではない。
何してたんだっけなぁ。
ヤンのうちが実は使えるほど広くないという話。
俺が部屋に荷物をとりに帰ってる間にヤンたちはドロケイをやって、ヨシヲが怪我。
スキーのバスまでおんぶされてきた。
置いて行こうかと思ったがとりあえず連れて行くことに。
この時点では捻挫という扱い。(後に足の小指を骨折と分かる)コウスケにテーピングをされていた。
3月18日 火曜日 232日目
朝からガツガツすべる。
お昼ごろすぎに二女と出会う。
まっきーとめちこがヨシヲを医者に連れて行くといって、山を降りた。
そういうことになって皆に迷惑が掛かるということが判断できなかったんですかね、ヨシヲ君は。
この医者の診察でレントゲンを撮り骨折と分かった。
夕方1600ぎりぎりに最後のリフトに乗った。
これが失敗だった。
結構ゆっくりにしか滑れない子も連れて行ったので下山に一時間以上掛かった。
最後の滑走中に、教学支援課の宿谷さんから21日13:00に会わないかというメールが。
また、同じ滑走中に、西岡さんの携帯から電話が。電話の主は鈴木太郎先輩。
橋詰先生から色々と聞いておいてくれとのことで。
内容は、どれぐらいの期間使うつもりなのかとか
ちょうど山を降りたとき、理工総研の後藤さんが19日14:30ごろに喜久井町で会わないかという電話が。その場では指定の時間に帰れる自身がなかったのでお返事しなかったがまた折り返し電話を入れることにした。
宿で時間的に約束の時間に東京へ帰られるかを確認した。
確認したところ一時過ぎには東京に着くことが分かった。
ということで、水曜一番で帰ること決定。
まぁ十分滑ったから良いけど、やっぱり皆と飲みたかったな。
最初から企画に途中で帰ることになるかもしれないことを伝えておけばよかったかもしれない。
3月19日 水曜日
ということで朝ごはんを食べて、荷物をまとめてバス停へ。
新幹線では行きに食べられなかった『横川の釜飯』をゲット。
一時過ぎには高田馬場に到着。
交流会のバスを往復一人ずつ増やしてもらいに行ったが往路しか増やせなかった。
愛ちゃんが以前から新幹線で帰りたいといっていたのでそれで良いかな。
ちょっと問題かもしれないけど。
つーか学生交流会のバスの手配は企画にお願いすればよかったかな。
午後二時ごろ喜久井町に。
そこで太郎先輩がいらっしゃったのでお礼がてらご挨拶に。
太郎さん曰く橋詰先生は飛行機がとても好きらしく積極的に推してくださっているらしい。
後藤さんと会って話す。
どれぐらいの広さがほしいのか。
屋根があるところでいらないものが積まれている部分をどかすことが出来れば飛行機は置けるのか?とか
期間としてはどれぐらいなのかとか。
喜久井町にサークルが来ることは今までなかったとか。
喜久井町も一、二年後に建て替えがあるから恒久的な場所は難しいということとか。
を話した。
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